2009年04月19日
ゲームを定義する方法
『文芸批評家のためのルドロジー入門――ゲーム定義のパースペクティヴ』
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に
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まずは「ルドロジー」について説明したい。これは、フィンランドの研究者であるゴンザロ・フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流を指す。20世紀末まで、遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論(ナラトロジー)的な立場から行われることが多かった。それに対してフラスカは、あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Ludology)の重要性を強調したのだ。
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と...
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ほう... また
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コスターは、前段で取り上げたゲームの形式論のように、日常の行為や遊び、そして形式の整ったゲームを区別しようとはしない。そうではなく、脳のパターンが認識する作業のうち、「楽しい学習経験」を誘うものが、私たちにとってゲームとして認識されるものだと主張する。
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このようなパターンを彼は〈チャンク〉と呼ぶ。そして、パターンを覚え込む作業(=チャンク化)の快楽こそが、ゲームのおもしろさをもたらすものであると考えているのだ。
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つまりコスターは「つまらない(わからない))」→「おもしろい(学びたい)」→「つまらない(学び終えた)」という三段階が、ゲームの評価プロセスの一サイクルであると考えているのである。
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と 先の記事で触れた本についても言及されている
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結局 この手の話 最終的には 脳 とか さらには 情報 の話に行き着くんだろうな
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というか 脳 と 情報 の話まで行った時に 人間と宇宙 の究極に繋がるんじゃないかな...
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まずは「ルドロジー」について説明したい。これは、フィンランドの研究者であるゴンザロ・フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流を指す。20世紀末まで、遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論(ナラトロジー)的な立場から行われることが多かった。それに対してフラスカは、あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Ludology)の重要性を強調したのだ。
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ほう... また
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コスターは、前段で取り上げたゲームの形式論のように、日常の行為や遊び、そして形式の整ったゲームを区別しようとはしない。そうではなく、脳のパターンが認識する作業のうち、「楽しい学習経験」を誘うものが、私たちにとってゲームとして認識されるものだと主張する。
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このようなパターンを彼は〈チャンク〉と呼ぶ。そして、パターンを覚え込む作業(=チャンク化)の快楽こそが、ゲームのおもしろさをもたらすものであると考えているのだ。
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つまりコスターは「つまらない(わからない))」→「おもしろい(学びたい)」→「つまらない(学び終えた)」という三段階が、ゲームの評価プロセスの一サイクルであると考えているのである。
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と 先の記事で触れた本についても言及されている
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結局 この手の話 最終的には 脳 とか さらには 情報 の話に行き着くんだろうな
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というか 脳 と 情報 の話まで行った時に 人間と宇宙 の究極に繋がるんじゃないかな...
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Posted by walkinglint at 15:08│Comments(0)
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