ソラマメブログ

2008年10月20日

SL の身体論

マクルーハンという人が言ったのかどうか知らないけれど
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良いメディア(/もしくはメディアの良い活用)は人間(の可能性)を拡張してくれる
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もちろんイリイチが言ったように どのようなメディア(/道具)にも活用限界というものが存在する
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SL が人間の可能性を拡張する可能性の限界
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ということを考えてみる
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一つは与えられた身体から自由になること
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メディアを意識(/無意識を含んでもいいが)という OS に対するインタフェースとすると
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身体というメディアと別の経路を提供しながら
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身体のメタファーを活用することができる
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まあ デスクトップメタファの拡張みたいな話でこれだけではつまんないんだけれど
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そこにアバターが係ってくると 自己意識 とか 他者認識 とか 社会関係 が関係してくる
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alter ego とか でも それを必要とするかどうかは その人次第
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SL におけるアバターの位置付けということがよく言われるけれど
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アバターの中の人の何かの心理的な必要性がそれを要請しているということも考えられなくもない...

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Posted by walkinglint at 18:01│Comments(0)アイデアメモ
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